朝市、復興の歩み
震災の日

2024年1月1日16時10分、お正月でたくさんの家族がふるさと能登に帰ってきている最中、マグニチュード7.6の大地震「能登半島地震」が発生。石川県輪島市や志賀町で最大震度7を観測したほか、能登地方広域で大きな揺れによる被害を受けました。
輪島朝市通りは出火により大規模な火災が起き、49,000㎡が焼失、組合員も2名亡くなってしまうという非常に悲しいできごととなってしまいました。
多くの組合員は避難所や親戚宅へ避難したようで、朝市通りの近くに家があった人は避難所に、離れたところに家がある人は、その地区の避難所などに避難し散り散りになってしました。
また、組合事務所や、保管していた会員名簿とパソコン、通帳を含む全記録が焼失してしまい、組合員への連絡や安否確認も困難な状況となり、大きな不安を抱えることになりました。
「輪島朝市を応援する会」の設立

当時、朝市組合は理事会や総会を開くことができず、組合長自身も被災していました。
朝市組合が機能していない中、少しでも前に進まなければという思いで、二木洋子、小坂美恵子、南谷良枝、遠島孝子、道下睦美、木嶋里美、橋本三奈子の7人が発起人となって、1月10日に「輪島朝市を応援する会」を設立。復興のための支援金を募ることから始めました。一番初めに集まった支援金は、輪島朝市の組合員に分配するために、2024年2月1日に北國新聞に記事にしていただきました。
それをきっかけに、大阪や沖縄などに避難していた組合員からも連絡が入るようになり、専用の携帯電話を新たに用意して周知を行い、新しい組合員名簿を作り直しました。
半年かかってしまいましたが、もともと180名(令和6年下期の組合費の支払いをしていた方)いた組合員の方のうち、170名と連絡を取ることができたことは、私たちにとって大きな希望となりました。
支援金は、石川県庁で配布日を設けてお渡ししたほか、工場に来ていただいたり、組合員のもとへ直接足を運んで手渡ししたりすることもできました。一人ひとりと顔を合わせて支援金をお渡しできたことに、心から安堵しました。
復興への第一歩
朝市通りは燃えてしまったけどもう一度仕事をしたい。
そんな思いを、私たちは強く抱いていました。
そこで、金沢に子どもたちを頼って避難していた組合員を中心に、顧問弁護士の先生や議員の方に相談し、「魚を扱うなら海の近くがいいね」というアドバイスを受け、金石地区の方に声を掛けさせていただきました。
金石地区では、商工会、商店街、町内会の皆さまが「協力しよう」と決めてくださり、1月23日に輪島朝市組合13人のメンバーと金石地区の方々と第一回の打ち合わせを行うことができました。
その場で「理想を言ってください」と声をかけていただき、私たちは「ゴールデンウィークに何か商売をさせてほしい」とお伝えしました。
「わかりました。」
その温かい言葉を受け、5月の本番に向けて、まずは3月の連休にプレイベントを開催する計画を立てました。ところが、テレビ局や新聞、ラジオなど多くのメディアに取り上げていただいたことで、プレイベントが本番の催しとなりました。
急いで用意しなくてはいけないとプレハブの加工場を作っていただき、3月6日には無事に保健所の許可、水産業製造許可をいただいて干物の加工をスタートする準備が整いました。
出張輪島朝市



私たちには「もし、魚を捌く包丁を半年持たなければもう仕事ができないのではないか?」という不安と、「1200年続いてきた歴史ある朝市を次の世代に繋げていきたい。途切れさせてなるものか」という覚悟がありました。
そこで、いままでは全国の人に来ていただいていたけれども、今度は私たちが全国に出て行って輪島朝市を続けていこう」という決心をしました。
そして、輪島で輪島朝市がもう一度開催できるようになった暁には、次の世代に引き継げるように、もっと良い朝市を作ろうという思いでいっぱいでした。
「出張輪島朝市」の名前の由来は、実際の出張は組合員で出られない方も多かったので、当時参加できる組合委員で話し合い、通常の輪島朝市とは違うけれど祭事などに出張していたこともあったので、「出張輪島朝市」と名付けました。
2024年3月23日には、金石地域の方の協力をはじめ、たくさんの方のご協力のもと、第一回「出張輪島朝市in金石」を無事に開催することができました。1日だけでしたが、雨にもかかわらず13,000人のお客様にご来場いただくことができて胸が熱くなる思いでした。
輪島市朝市組合としての復興への第一歩だったと思います。
そのあとは、たくさんのお声がけもありガルガンチュア音楽祭やサッカースタジアムなど県内での販売する場を設けさせていただきました。
また、テレビや新聞の取材で私たちは「売り場がなくなってしまった。」という話をしたところ、全国からお声がけをいただけるようになりました。
一番最初の遠地出張は、阪神大震災で被害を受けた兵庫県神戸市東灘区の「うはら祭」に出展させていただきました。ご存知かもしれませんが、お祭りの開催場所は阪神大震災当時、自衛隊のお風呂が設置された公園です。
30年前の震災の爪痕を一切感じさせない、子どもたちの活気にあふれている場所で、出張した組合員一同「私たちも頑張ろう」と勇気をいただけました。
復興への歩み

組合として、4月には輪島市役所の職員さんに感謝の思いを伝えようとシーフードカレーや振る舞い鍋として豚汁をつくって振る舞いました。他県から来てくださった方や仮設住宅や避難所の支援をしてくださっている方には本当に感謝しかありません。
課題はまだまだありました。出張輪島朝市で全国に出店していく中、どうしても出張にはいけない組合員も大勢いることでした。
なんとかしたいという思いに答えてくれたのが、被災後に修繕しながら一部営業を開始していたワイプラザさんでした。

高齢の方や、畑を持っている方、家族の面倒をみるために家を空けることができない方などは、やっぱり輪島にいてその方達も出店したいという思いがあり、交渉を進め、通路を無償で貸していただけるという話になったのです。そこで2024年7月10日から常設の出張輪島朝市を開催することができるようになりました。
ワイプラザさん自身が野菜や、魚、干物などの加工品を販売しているにもかかわらず、同じ商品を扱っている私たちに出店をさせてくれたことには、感謝しても感謝しきれない思いです。

また、燃えてしまった朝いっちゃんをもう一度作りたいといくつもの業者さんに連絡をしていたところ、震災前に作っていただいた業者さんと偶然繋がりました。そして奇跡的に設計図が残っていたことでもう一度朝いっちゃんを作っていただくことができ、年度末に開催した感謝祭では、朝いっちゃんがチョコレートやお菓子を配りました。
能登半島豪雨
SNSより引用
SNSより引用
SNSより引用
震災後3月頭の時点では7割の方が輪島市街にニ次避難をしていましたが、4月ごろに断水が解消されたことで、少しづつ輪島市内に人が戻ってきました。そして7月には畑を営む方達が復活できました。
ようやくこれからと思っていた矢先、2024年9月に記録的な豪雨が輪島市を襲いました。3時間の降水量が220mmを超える、観測史上1位の記録を更新する記録的な大雨でした。能登半島地震からの復旧途上に追い打ちをかけるような災害で、家ごと流されてしまい福井沿岸で発見された方がいらっしゃったなど、本当に悲しい災害でした。
この水害で、畑を持っていた方のほとんどがダメになってしまって野菜を販売する方が減ってしまいました。
また近隣の店舗にも土砂が流入したことで、復旧が巻き戻る最悪の事態を経験することになりました。
もう一度立ちあがろう

翌年2025年は大きな災害もなく、出張のお声も増え、ワイプラザでの出展者も徐々に増えてきています。おかげさまで、2025年の6月にはワイプラザ内の通路からワイプラザ内の1区画をお借りし移動することができました。また、5月には観光庁の補助金に採択され、5月8日に輪島朝市復興協議会が立ち上がりました。
輪島朝市復興協議会メンバー
- 冨水 長毅
- 中道 肇
- 関山 昌俊
- 南谷俊明
- 山下良子
- 木嶋里美
- 池端麗子
- 遠島孝子
- 橋本 三奈子
- 柴田 未来(委員・アドバイザー)
- 戸田 敏之(委員・アドバイザー)

ここで輪島朝市の復興をどのように目指すのかをワークショップ(2025年6月5日、8月7日、10月21日の計3回)を開き、その過程で県外の地域の朝市や、軽トラ市の視察などに伺いました。
軽トラ市は軽トラがずらりが並ぶことで、移動型の商店街をつくるというコンセプトで、輪島朝市との親和性を感じ交流をもつことになりました。

8月31日には、「復興輪島朝市x全国軽トラ市in輪島」をマリンタウンの野外特設会場にて開催。全国から17台の軽トラと輪島朝市組合から約40名が共同で出店。前日には交流会や、当日には復興輪島朝市の計画の中間発表会を行いました。
中間発表では、焼失してしまったエリアに輪島朝市の広場を朝市通りの近隣に作っていただくということを要望し、現在市や県で検討していただいています。

これまでは、雨の日も、風の日も朝、道具を持って小屋を立てて、お昼にはまた片付けてという生活をしていたけれども、それでは後継者が出てこない。
また食品衛生法の問題もあり道路で試食をしてはいけない、刺身を売ってはいけないという問題があり、その解決につながるのではないかと思います。(食品衛生法では生魚は三方向を囲んである場所で、温度管理してある場所で販売する必要があるなど決められています。)
広場ができ、これらの問題が解決できれば、新しい出店者や夕市の開催など可能性が広がります。
実際に他の市場を視察してみると、ステージがあったりお客様にきていただくために色々な工夫があることを知りました。もう一度賑わいを取り戻すにはただ売っているだけではダメで、こうしたステージを使った催しやバーベキューコーナーを用意する他、食べ物を増やしていく必要があることを私たちも痛感しました。
目標は100万人の交流人口目指す
今は朝市が生まれ変わり、5年後の2030年以降に100万人の交流人口を目指そうということでワークショップを通して組合員でアイデアを出しながら計画を進めています。
そのための初めに駐車場の拡張や整備、公衆トイレの増設はもちろん、災害の時に炊き出しができるような共同調理室なども課題としてすすめていく予定です。
今後は、例えば輪島市民に限らず広く出店を募ってみたり、大学生などのボランティアとしてきていただいている方に朝市で例えば手作りの商品を売ったり、似顔絵を描いたり、自分たちの得意なもの出店していただくことで支援をお願いしたいと考えています。
ピンチをチャンスに変えて、100万人を目指したいと思っています。
市(いち)が立つところに町ができるという言葉があるように、輪島朝市がもう一度観光の柱になるように復興の先陣を切っていきたいと思っています。
感謝を込めて
震災以降、数えきれないほど多くの皆様からご支援と温かいお言葉をいただいてまいりました。心より感謝申し上げます。
復興への道のりはまだ続いており、これから先も皆様のお力添えが必要です。
今後とも変わらぬご支援、ご協力を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
